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11月30日 山本里香県議会議員が、教育問題で一般質問

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小中学校の学習指導要領が改訂され、これまで教科外の活動であったのが、2018年度から小学校で、翌2019年度から中学校で、特別の教科「道徳」となります。
格上げされて、特別な教科ということです。教科になるということは、教科書ができ教科書を使った授業をするということです。そして特別な教科というのは何なのか。
「教科」になると評価をしなければなりません。しかし、子どもの心の成長の様子を5,4,3,2,1などと数値でははかることはできませんから、教科にはなれず、「特別な教科」というわけす。もともと、教科にはなじまないのです。

 教科書検定にあたって、「学習指導要領に示す内容に照らし扱いが不適切」と検定意見がつき、
「高齢者への尊敬と感謝が不足していると、「おじさん」から「お爺さん」へと表記を変え、
「伝統文化の尊重」の観点から、「パン屋」から「和菓子屋」へと変更されたことが大きく話題になりました。
余りにも表面的で、文科省の言う愛国心や伝統の尊重が薄っぺらな記号に過ぎないということが露呈したのです。
新指導要領については、小学校5年の社会科での領土問題の扱い、
(領土問題は近隣諸国との国際紛争を引き起こしており、歴史的経緯の説明や当事者国の見解の相違などを扱う必要がありますが、学習指導要領には政府見解のみの記載で教育する立場が貫かれています。)
中学校保健体育の「武道」に「銃剣道」が加えられたこと、
(銃剣術は旧日本軍の戦闘訓練で行われていたものであり、平和憲法下でのスポーツ教育とは言えません。)
英語教育の低学年化、など、いくつも問題があります。
私には、今回の学習指導要領改訂は9条改憲までしようとしている安倍政権の「戦争できる国づくり」の教育観が大きく取り入られてきたの確信します。

特に、道徳の教科化は、2006年に第1次安倍政権が打ち出しましたが、文科相の諮問機関・中央教育審議会(中教審)が「心の中を評価することになる」と難色を示し、見送られたものです。
第2次安倍政権は、再び教科化を検討。2014年にメンバーを入れ替えた中教審が教科への「格上げ」を求める答申を出し、実現しました。そして、来春を迎えます。
 大津いじめ自殺事件を受け、教科化の論議へと向かった経緯もありますが、そもそもいじめの原因は道徳の劣化なのでしょうか。

 先にも申しましたが、「特別な教科」ということで評価になじまないという指摘の中、指導要領によりますと、数値などによる評価は行わないとなっています。
しかし、それによって、「文章で評価を付けるのか」ということも言われています。
評価基準とされるのは、学習指導要領に示す内容項目、つまり徳目です。
この項目は、学年ごとに19~22項目列記されていますが、その中には「愛国心」や「家族愛」などに関わるものもあります。
 さて、どのように評価するのでしょうか?

また、文科省は「考える道徳へと転換させる」言っていますが、考えるべき道徳的価値は学習指導要領ですでに決められているのです。それを指標に評価を考えるのでしょうか。
 これまでの道徳では、先生方が、クラスの必要なことを必要な時に柔軟に扱ってきたものだと認識しています。それを、「教科書通りに」ということで先生方が「個人の尊厳に力点を置きたい」「クラスにあるいじめのことをじっくり取り組みたい」と思っても、許されないようになりはしないか。
さらに、何よりも「いい評価をもらうため」に本心と違う期待される発言や行動をする子どもも出てくるとすれば、それはこどもの心をゆがめます。
 やりようによって、子どもに対する道徳観の押しつけは基本的人権を尊重する「憲法」と矛盾し、日本も批准する「子どもの権利条約」、また、「三重県子ども条例」の主旨とも整合性が図れない。
道徳の教科化と、その評価について教育委員会としてはどのようにお考えですか。

 

はじめに「道徳的価値」ありき、言い換えれば「徳目」ありきでは、子どもたちの心や感性は動かないとおもいます。
ここで、私どもが、「道徳教育」を否定していると誤解されては困ります。
「子どもに社会的規範を身につけさせたい」「思いやりの心を育てたい」という思いは共通のこと。
道徳はシンプルに言えば、「善悪の判断」で人間としての大切なことです。
子どもだけではなく、大人にも求められる。
有名企業のデータ改ざんや、金銭にまつわる汚職や不正が、政治や経済の社会で野放しになっているままでは、道徳の教科化だけで「健全な子どもの育成」などありようはずがありません。

その善悪の判断は戦前と戦後で大きく違いました、戦前は大日本帝国憲法の下、
天皇が主権者で国民はその家来・臣民、道徳も天皇が決め臣民に与えるという形でした。
それが「教育勅語」です。全ての道徳が天皇への奉仕に結び付き戦争をさせる道具となりました。
戦後、日本国憲法の下、国民一人一人が主権者である民主主義の社会となり、主権者にふさわしい市民道徳が必要です。そのことを学ぶ道徳はとても大切です。
日本国憲法の「個人の尊厳」をベースにした道徳、「私に尊厳があるということは、すべての人々に尊厳があるとしてお互いを大切にしあう人間関係や社会を希求し作っていく勇気につながる道徳であってほしい。それは封建的で堅苦しいものでなく生きづらい現実と向き合う現代人のツールであるべきです。
 教科としてでなく、学校では、教師があらゆる場面で生きざまを示しながら、子どもたちを人として受け止める中で培っていけるものではないでしょうか。
まさしく、「三重県子ども条例」の主旨です。

道徳の教科化で、その研修や評価をしなければならないということで、多忙を極める教師が、時間的にも精神的にもストレスを増加させることになっては、よい道徳教育はできません。
教科書検定などを通じて、上から子ども、ひいては国民の道徳を管理しようという「国定道徳」の押し付けには反対します。
憲法や子どもの権利条約などの学習、いじめや人間関係などのトラブルをみんなで解決していくクラス討論や、学校行事などを通し、すべての授業や学校生活の中で、子どもを人間として大切にしていくこと、体罰などが厳しく批判されることなどを通じて、市民道徳の教育が進められてこそ、道徳の授業は有効になります。
「我慢」や「目上の人を尊重」ということが記述されています。それだけ考えればその通りですが、ブラック企業に食い物にされた若者の不幸の相談に「我慢」を言えば、自殺へと繋がっていったりします。「我慢せずに働く人の権利を主張しましょう」「目上の人にもおかしいことはおかしいといいましょう」と教育する方がより道徳的ではないでしょうか。

さて、
道徳教育と相まって論じられている、「教育勅語」にかかわって、知事に伺います。
安倍内閣は、2017年3月31日、当時民進党の初鹿明博(はつしかあきひろ)議員の質問主意書への答弁書において、「憲法や教育基本法に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」との考えを示し閣議決定しました。
前後して、勅語をめぐる閣僚の発言が続いたのは周知のとおりです。

戦後、衆参両院が「教育勅語」の排除・失効決議をした時に、当時の森戸辰男文部大臣は、「教育勅語は明治憲法を思想的背景としており、その基調において新憲法の精神に合致しがたい」と述べています。
参議院では「これらの勅語は根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残すものである」とし、憲法98条に基づき効力を有しないと、全会一致で排除・執行が決議されたのです。
中曽根康弘内閣の1983年には、生徒に教育勅語を朗読させていた島根県の私立高校に中止を指導し、当時の初等中等教育局長は、「教育活動の中で取り扱ってはならない」と明言しています。
戦後の歴代政権と文部科学省は、教育勅語を教材として扱うことを否定してきました。
 しかし、森友学園問題で表面化したように、幼稚園児に教育勅語を暗唱させる教育を安倍総理夫妻は天まで持ち上げ、流れの中で今回の閣議決定となりました。
安倍政権の閣議決定には、全国紙は「産経」を除き、すべて批判の社説を掲げています。

勅語の内容は、3つの部分からできています。
 第1段は、天皇が国も道徳もつくった。天皇への忠誠こそ教育の基礎である。
 第2段は、いざとなれば天皇国家に身を捧げよ。親孝行など、すべての徳目は天皇国家のためにある。
 第3段は、勅語の徳目は天皇の祖先たちの遺訓だからよく守るように、ということです。

 教育勅語は1890年に成立し、国民の上に君臨し、「天皇国家のために身を捧げよ」と子どもたちを教化し続けました。そうした教育がおびただしい命を奪った侵略戦争を支えたことは事実です。このお事実を忘れるわけにはいきません。
 戦前の教育の現場で、先輩教師たちは疑問を持ちながらも「教育勅語」で教育し教え子を戦場に送ったことに、言いようのない罪悪感をもち戦後苦しんだと聞きます。
過去の道徳がまたぞろ息を吹き返すのか。
知事は、教育勅語の復活ともいうべきこの決定をどのように考えられますか。

 

 「憲法や教育基本法に反しないような形」での取り扱いというのはそもそも無理があります。
「一旦緩急あれば天皇のために身を投げ出せ」という教育勅語は、そもそも国民主権をうたう憲法や教育基本法とは相いれないものです。
12の徳目があり、良いことが書いてあると評価される向きがありますが、「父母ニ孝ニ」「兄弟(けいてい)ニ友ニ」「夫婦相和シ」「朋友相信シ」などは全て「何かことが起こったら、皇室国家のために身を差し出せ」に収れんされていくものであり、国民主権とはかけ離れています。
今、主権者教育ということで力を入れている中、対局のものです。
わざわざ「教育勅語」を持ち出さなくても、「親孝行を」「夫婦は仲良く」などと言えばいいことです。
歴史的には失効しているのは大前提であることを重ねて指摘させていただき、憲法、教育基本法に沿って、

① 人間の生命、互いの人格と権利を尊重し、みんなのことを考える。
② 真実と正義を愛する心と、いっさいの暴力、嘘やごまかしを許さない勇気を持つ。
③ 社会の生産を支える勤労の重要な意義を身に着け、勤労する人を尊敬する。
④ みんなの協力を大切にしながら、自分の責任は自分で果たす自立心を養う。
⑤ 親、兄弟や友人、隣人への暖かい愛情を育てる。
⑥ 民主的市民生活に不可欠な公衆道徳を身に着ける。
⑦ 男女同権と両性の正しいモラルの基礎を理解する。
⑧ 次代を担う主権者としての自覚を高める。
⑨ 侵略戦争や暴力の賛美でなく、真の平和を愛好する。
⑩ 他国を敵視したり、他民族を軽蔑するのではなく、真の愛国心と諸民族友好の精神をつちかう。
といった、
国民が主人公、一人一人が尊重される人格の完成を目指した道徳教育が行われることを切に願います。

 

次に、来春誕生の、四日市工業高等学校ものづくり創造専攻科についてお伺いします。
 
 高等学校を卒業してからさらに2年間ものづくりについて学ぶ専攻科の設置が、ちょうど3年前に四日市市長と鈴木知事との対談を出発点としてなかなかな猛スピードで実現となりました。
【パネル1】
 これは、生徒募集パンフレットですが、実際校舎もできていませんのでパースですね。
【パネル2】
特色1 ものづくりの基礎から生産設備の設計・開発などものづくりの専門分野の学習
特色2 機会と電気電子が複合したこれからの技術に対応したモノづくりの創造
特色3 学校の授業だけでは知ることのできない生産技術を実践の場で学ぶ実学重視の学習
特色4 ものづくりに関する専門家を招いた授業により最新技術の産業の動向を学ぶ
特色5 工業高校(本科)では学ぶことのできない生産技術と品質管理について学ぶ
特色6 英字のマニュアルを理解したり英語によるプレゼンテーション能力の育成

また、授業料が県立高校の授業料と同じで月額9900円です。
工業地帯と言われる三重県の北勢地域ですが、工業系の大学・専門学校もない中で、より技術を技能を勉強したい生徒たちにとって、大学や専門学校で多額の費用がかかることを思えば、地元で負担が少ない専攻科は歓迎されることです。
 かつて、20年ほど前にも専攻科設置を望む声がありましたが、それはずっと温存されたままでやっと日の目を見たということでしょうか。
ただ、あまりにも急に進んだ中で、
 教室や実習室となる校舎ですが、
設計費が約3000万円・
建設費が約4億2800万円、に加え
備品費が約2500万円の  建設は、
この8月にやっと始まったばかりで、完成は4月に間に合わないと聞いています。
また、教育行政の立場で大変な思いをしながら進めているのだとは思いますが、現場の先生方には十分に内容が周知されていないようなこともうかがっています。開学がそこまで迫っているのに、学校全体のもととなっていないような、工業科の先生方をはじめ教職員の力が大変必要だと思いますが、教育現場の声が充分に取り入れられているのかどうか。
何と言っても、初年度、スタートが大切です。
期待をもって進学してくる学生たちに十分な準備がいると思います。
4月からスタートにあたって、ハード・ソフトの準備は大丈夫ですか。
更に、気になることは、特別選抜では県内工業高等学校卒業見込みの者となっていますが、一般選抜では、高等学校卒業したものあるいは卒業見込みの者ということで、工業科の課程を履修したものということを限定していませんが、機械や電気の実習を含む専門科目を履修していない者と、履修しているものを一緒にとなると、より高度な専門学習というところで、高校工業科の上に積み上げた学習をするという認識とは違いますがどのような認識でしょうか。
ぜひとも、しっかりしたスタートを切って、着実に生徒たちが力を付け、それこそ地域産業の働き手以上の担い手となっていけるような、創造的な仕事ができるように、充実した専攻科となりますように応援するばかりです。
企業・団体・大学に協働パートナーをお願いし、講師派遣や外部実習をお願いするということは、広く多くのことを学ぶことにつながると思います。目先の利益を置いて、共同していただくことに感謝しなければなりません。
しかし、学校側としてしっかりした主体性をもって進めていくことが肝心で、青田刈りのようなことにならないようにすることを強く望みます。
ましてや、安倍政権は、経済政策2本柱「生産性革命」「人づくり革命」として、幼児期を含む全世代を対象にした財界奉仕型の人材育成を求めており、12月上旬にも「政策パッケージ」を閣議決定したいようです。大学や高等専門学校を「国の競争力を高める原動力」と定義、産業界のニーズに合わせて大学のカリキュラムを見直すよう求めるなど教育内容を、財界が求める人材育成と技術開発の下請けにする考えを示しています。
協働パートナーという中では、バランスをよく考え、専攻科の成功が、専門学科を学ぶ高校生の明日を豊かにし、真に地域産業を元気にすることを望みます。

 

 

 

 

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